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名古屋高等裁判所 昭和42年(う)463号 判決 1969年2月21日

主文

本件控訴を棄却する。

当審における訴訟費用は、全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、被告人および弁護人長屋潤各作成名義の各控訴趣意書にそれぞれ記載されているとおりであるから、ここにこれらを引用する。

被告人の控訴趣意中、原判示第一の事実に関する事実誤認の論旨および弁護人の控訴趣意中、事実誤認の論旨について。

右各所論は、要するに、被告人においては、原判決が、信憑性のない原判示の被害者竹原鐘大こと孫命岩の原審公判廷の供述および任意性も信憑性もない被告人の司法警察員に対する供述調書等にもとづいて、被告人が原判示第一の犯行当時心神耗弱の状態になかつたと認定判示したのは、事実誤認の違法を冒したものであるといい、弁護人においては、原判決が原判示各犯行当時被告人において、心神耗弱の状態になかつたと判断したのは、いずれも事実を誤認したものである、というのである。

そこで、まず、所論の原審第一五回公判調書中の証人竹原鐘大こと孫命岩の供述記載部分をつぶさに検討するに、同証人は、右公判において、その当時の記憶にもとづいて、同証人が原判示第一の犯行によりその被害を被つた前後の事情等について供述しており、その供述内容に多少正確さを欠いた点がないでもないが、同証人の供述が所論のごとくすべて信憑性のないものであるとは到底認められない。次に、被告人の司法警察員に対する各供述調書中の被告人の供述記載内容をつぶさに検討してみても、該供述に任意性を疑うべき点はいささかもなく、またその信憑性を認めるになんらの支障もない。それ故、原判決が右の証人竹原鐘大こと孫命岩の原審公判廷における供述および被告人の司法警察員に対する各供述調書を原判示第一の事実認定の証拠に供し、また被告人らの心神耗弱の主張を否定する資料に供した点になんらの違法も存しない。而して右の各証拠を含む原判示各事実に対応する関係各証拠を総合すると、被告人は、原判示各犯行当時、飲酒後の酩酊により、いささか大胆かつ粗暴になつていたことが認められるから、これをある程度精神上の障碍と認めない訳にはいかないけれども、その障碍は、是非善悪を弁識し、あるいは、右弁識に従つて行動する能力を全く喪失するまでに至つていなかつたばかりでなく、通常人に比較して、その能力が著しく減弱しているものとも認められないから、右精神障碍の程度は、いまだ心神喪失ないしは心神耗弱の状態に達していなかつたものというべく、記録を精査しても、この判断に誤りを認め得ない。もつとも原審公判調書中には、被告人の供述として、所論にそうような記載部分が存するが、該供述記載部分は、原判決挙示の爾余の関係証拠に照らし、たやすく措信できず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。その他、記録を精査検討してみても、原判決の事実認定に所論のような違法の廉はいささかも存しない。論旨はいずれも理由がない。

被告人の控訴趣意中、原判示第一の事実に関する訴訟手続の法令違反の論旨について。

所論は、要するに、被告人が、原審公判において、被告人の司法警察員に対する各供述調書中の被告人の供述の任意性を争つたのにかかわらず、原審が被告人の具体的弁解も聞かないで、右各供述調書の取調べをし、これを原判示第一の事実認定の証拠に採用したのは、訴訟手続の法令違反の違法を冒したものである、というのである。

しかしながら、本件記録に徴すると、被告人は、原審第六回公判において、検察官から、原判示各事実の証拠として、その取調べ請求のなされた所論の被告人の司法警察員および検察官に対する各供述調書につき、「その任意性を争う」とのみ主張し、その具体的事由についてはなんらの陳述をなさず、弁護人から右各供述調書の任意性を争う具体的事実の釈明のため、公判期日の続行申請がなされた結果、原裁判所は、右各供述調書の取調べを留保して、次回公判期日を昭和四〇年一一月一二日午後二時と指定告知したが、被告人は、同公判期日に出頭せず、原裁判所は、更に次回公判期日を同年一二月一七日午後一時と指定告知したが、被告人は、同公判期日にも出頭せず、昭和四一年一月一四日の第九回公判期日に至つて漸く出頭したが、同公判において、被告人からは前記供述調書の任意性についての具体的事実の陳述はなく、弁護人から、「被告人は警察、検察庁で取調べを受けた際『お前はライオンのような奴だ』と云われたと云うのみで、外に被告人から調書の任意性を争う具体的な供述は得られなかつた」旨の釈明がなされたこと、原裁判所は、右の第九回公判において、所論の各供述調書につき、被告人に対し、該供述当時の事情および供述調書の被告人の署名押印の真否などをただしたうえ、右各供述調書の取調べをしたことが認められる。而して、刑事訴訟法第三二五条は、被告人の供述を録取した書面は、該供述が任意になされたものかどうかを調査した後でなければ、これを証拠とすることができない旨規定しているが、その任意性調査の時期、方法等については、なんらの規定がなく、法は右の任意性調査の時期、方法については、もつぱら裁判所に一任していると解すべきであるから、原裁判所が前認定のような経緯のもとで、所論の供述調書の任意性について、被告人の具体的な弁解を逐一詳細に聞かないで、該供述調書を取り調べ、これを原判示第一の事実認定の証拠に採用したからといつて、これが所論のごとく法令に違反したものであるというわけにいかない。所論はひつきよう独自の見解に立つて、原審が適法になした訴訟手続をかれこれ非難するものであつて、到底採用できない。その他、記録を精査検討してみても、原審の訴訟手続に所論のような違法の廉はいささかも存しない。論旨は理由がない。

被告人の控訴趣意中、原判示第二の事実に関する刑事訴訟法第三七八条第三号および同第四号違反の論旨について。

所論は、要するに、原判決には、 原判示第二の事実に関し、刑事訴訟法第三七八条第三号および同第四号に該当する事由がある、というのである。

しかしながら、記録を精査検討してみても、原判決に所論のような違法の廉は、いささかも存しない。所論は、被告人が、原審公判において、原判示第二の事実につき、被告人の原判示通帳の占有権にもとづいて正当防衛の主張をしたのにかかわらず、原判決が、右の主張について、なんらの判断も示さなかつたのは、理由不備ないしは判断の遺脱である旨かれこれ主張するので案ずるに、なるほど記録によれば、原審弁護人が原審第三回および同第二一回各公判において、また被告人が原審第二二回公判において、それぞれ所論にそうような正当防衛の主張をしたことは、所論のとおりである。そして原判決は、右主張に対する判断として「被告人主張の通帳が被告人の所有物であるというが之を認める証拠は全記録を精査するも見当らず、証人金潤葉の当公判廷における供述によれば、通帳は金潤葉方において被告人等が買物をした際、各自において通帳に記載し、勘定日に精算する仕組にて常に金潤葉方に保管されているものでそれを被告人が勘定の精算もせず勝手に持ち去ろうとしたので金潤葉が返還を求め、被告人はそれを阻止しようとして暴行したもので、到底正当防衛と認めることは出来ない」旨説示しており、その措辞がやや簡略にすぎ、所論のように誤解を招く虞れがないでもないが、右判示部分を前掲原審第三回、同第二一回および同第二二回各公判調書中の被告人および原審弁護人の各供述記載部分と、併せ精読すれば、原判決の右判示部分は、単に所論の通帳の所有権が被告人にないという理由のみで、所論の被告人らの正当防衛の主張を排斥したものでなく、所論の通帳の所有権にもとづく正当防衛の主張は勿論、該通帳の占有権にもとづく正当防衛の主張も共に採用できない趣旨を判示したものと解されるので、原判決に所論のような違法は存しない。所論はひつきよう原判文を正解しないことにもとづく謬論であつて到底採用できない。その他、記録を精査検討してみても、原判決に所論のような違法の廉はいささかも存しない。論旨は理由がない。

弁護人の控訴趣意中、量刑不当の論旨について。

所論は、要するに、原判決の量刑が重過ぎて不当である、というのである。

しかしながら、記録に現われた被告人の性行、経歴、前科を初め、本件各犯行の動機、態様、罪質、犯行後の事情等、特に、被告人には昭和二三年一二月一〇日以降本件各犯行に至るまでの間に、器物毀棄、傷害、外国人登録法違反、暴行などの罪により処罰された前科五犯が存すること、更には、本件各犯行が、いずれも酒のうえでの犯行とはいえ、傷害または暴行の案件であつて、被告人にこの種犯行の性癖が認められること、その他量刑に影響すべき一切の事情を総合考察すると、原判決の量刑は、まことに相当であり、所論のうち肯認し得る点を被告人の利益に斟酌しても、右量刑が所論のごとく重きに失する事由を見出し得ない。論旨は理由がない。

よつて、本件控訴は、いずれの観点からしても、その理由がないので、刑事訴訟法第三九六条に則り、これを棄却すべく、当審における訴訟費用は、同法第一八一条第一項本文に従つて、これを全部被告人に負担させることとして、主文のとおり判決する。

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